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研究室レポート  パンデミックドリル

Webマガジン 『病気と医学』 パンデミックドリル

感染症が国境を越えて世界的に大流行する現象「パンデミック」。かつては14世紀のペスト、19世紀のコレラ、そして20世紀になるとインフルエンザが猛威をふるった。そして21世紀の今、差し迫る脅威が「鳥インフルエンザ」である。

鳥インフルエンザのH5N1型は、ヒトに感染すると60%以上が死亡する高病原性のウイルスだ。世界保健機関(WHO)によると、2003年以降、世界で600人以上が感染し、そのうち370人以上が死亡している。一方、ヒトへの感染は稀で、今のところ感染者は鳥と濃厚に接触した場合に限られている。

しかしながら、2013年4月に中国で感染が拡大したH7N9型。当初は弱毒性といわれていたが、その後感染者の多くが死亡し、強毒化した可能性も指摘されている。限定的なヒトーヒト感染の疑いもあり、まさに、今そこにある危機だ。

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パンデミックドリル開発の目的

「鳥インフルエンザに対しては、大多数のヒトが免疫を持っていないため、ヒトーヒト感染が容易になると、世界的な感染症大流行が起きるおそれがあります」と話すのは、呼吸器内科医として感染症治療の経験も豊富な、日本医科大学医療管理学教室の秋山健一(あきやま・けんいち)医師。本学医療管理学教室は、日本における医療管理学の先駆けであり、医療政策や教育について最先端の研究を行っている。そこで開発された体験型教育プログラムの一つが「パンデミックドリル」である。

「パンデミックドリル」とは、医療関係者が効果的な感染症危機管理の訓練を受けるために、本学付属病院高度救命救急センターの協力のもとに開発された体験型シミュレーション教育手法。2009年から本学医学部と看護学校の教育カリキュラムに取り入れられている。

ではなぜ、日頃からパンデミックに備えた訓練が必要なのだろうか?厚生労働省による被害想定では、国内で最大64万人が死亡すると推定されている*1。しかし、パンデミックの怖さは死亡者数だけではない、と秋山医師は語る。「最大で2500万人もの患者が、短期間に医療機関に殺到することで大混乱が生じ、治療薬や点滴だけでなく、医師や看護師などの人的資源も不足することが予想されます」。すなわち、医療という社会資源そのものが枯渇するおそれがあるのだ。

では、医療機関、特にそこで働く医療関係者は、パンデミックに対して準備は出来ているのだろうか? 秋山医師によると「多くの医療機関では、感染症強化対策が急務」だという。また、医療関係者が危機発生時に迅速に対応するためには、「日常的に、効果的な感染症危機管理の訓練を受けている必要がある」という。それを支援するために開発されたのが「パンデミックドリル」というわけだ。

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体験型シュミレーションドリル

それでは、さっそくドリルの中身を見てみよう。ドリルは三つのセクションに分かれている。学生はまず、座学による講義でパンデミックや院内感染などの一般的な知識を学ぶ。講義ではインフルエンザウイルスの構造をはじめ、治療方法、スペイン風邪などの歴史や、公衆衛生上の問題点、院内の感染対策など、基礎医学、臨床医学、社会医学にまたがる知識について網羅的に講義を受ける(図1)。講義が終わると、次は感染症を専門とする感染管理認定看護師により、正しい手洗いの方法や、個人防護具(PPE)の正しい着脱方法など、感染防御の技術指導実習に移る(図2)。そして最後に、シミュレーション型のドリルを行う。学生は緊迫したパンデミックの状況で、いかに患者を適切に治療するか体験出来る構成となっている(図3)。

図1、2

藤田昌久

これまで秋山医師と共にドリルの開発に関わり、感染防御技術指導を担当する、日本医科大学付属病院感染制御室の藤田昌久(ふじた・まさひさ)看護師長にも話を聞いた。藤田師長は、院内感染対策の重要性についてこう話す。「院内感染は、一度起きてしまうと患者さんは当然のこと、医療従事者にもつらい経験になります。そのため、感染防御対策は一度きりではなく、日頃から『継続的』に行うことがとても大事です」。

図3456また、それをふまえて学生のうちから感染防御を学ぶ意義についてこう話す。「技術は一度の学習では身につかず、継続しないと忘れます。そのため、本ドリルを学生時代に経験し感染防御技術に対する『イメージ』を持つことが非常に大事です」(藤田師長)。一度体験したイメージは忘れにくく、医療従事者になってからも振り返ることが可能であるからだ。

講義、感染防御実習に次いで最後にシミュレーション型ドリルが行われる。学生は4人1組の医療チームとなり、医師1名、看護師2名、看護助手1名で疑似的に設定された病棟を一つ担当する。演習がはじまると、カードボードで作られた模擬患者の左胸のポケットに、教室スタッフが患者の状態を示したフラッグを入れていく。フラッグには「発熱」「医師の診察」「点滴」など患者の状態や必要な処置が記されている(図4)。

学生は患者のフラッグに書かれた症状を確認し、処置に必要な内容が書かれたフラッグをナースステーションに取りに行く。そして2枚のフラッグを患者のポケットで重ねることで処置が終了する(図5)。一つの処置が終わると、スタッフは新たなフラッグを次々と入れるため「時間とともに、患者の全身状態は刻々と変化します」(秋山医師)。

学生は現実と同じように、職種によって実施出来る診療行為が決められている。たとえば「死亡診断」は医師にしか出来ない(図6)。そのため、学生は「自分が可能な行為に

縛られながら、パンデミック状態の病棟で、患者の処置に追われることになります」(秋山医師)。

また実際のパンデミックを想定して「ICU」行きや「死亡」で空床になった病床にはすぐに新たな患者が運ばれて満床となったり、点滴や酸素ボンベなど、病棟の医療資源が枯渇したり、学生自身が感染して入院することで人手不足になったりと、次々に変化する状況に、学生は戸惑い、混乱が生じ始める(図7)。これらの様子は、動画としても見ることが出来る。(参照サイト:http://ipe-nms.com/急性期ドリル/実地風景ビデオ/ ) 

ドリルでは15分間の演習の後に、反省点や対策などについて議論するために10分程度のチームミーティングを行い、その後再度15分の演習で終了となる。このチームミーティングにおいて、学生はそれぞれ別の4人の立場から非常に熱心に話し合う。

秋山医師によると「2回目は1回目に比べるとスムーズに行われることが多く、医療チームは声掛けなどのコミュニケーションや様々な工夫を取るようになる」という。実際、演習の動画を見ても「患者さんICU! ICU!」、「点滴が足りないよ!」「ドクター、早く診察して!」など、1回目と比べると、2回目のほうが、はるかに声が出ており、チーム間のコミュニケーションがスムーズに出来ているように見える。

図7

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ドリルによってもたらされる学習効果

図8、9秋山医師は、本ドリルにおいて学生に体験して欲しい点として、右の6項目をあげている(図8)。

図8に掲げた項目は「座学形式の講義だけで理解するのはなかなか難しい。学生が主体的に行動して、かつ複数の対人関係の中からの体験を通して、はじめて実感出来るのではないか」(秋山医師)と語る。

演習後に学習目標の理解度をアンケートで検証したところ、全ての項目で9割以上の学生が「良く」あるいは、「ある程度」イメージ出来た、と答えた(図9)*2。また、秋山医師は学生の自由記述からも貴重な事実を発見したという。「学生は、医療がチームで行われていることを強く実感し、コミュニケーションの重要性と同時に、他の職種への感謝の気持ちを持つことが分かりました」。それと同時に、学生にとって「臨床現場の一端を経験することの出来る、非常に新鮮で興味深い授業であったことが伺えた」*3(秋山医師)という。

小泉智恵子日本医科大学看護専門学校においてパンデミックドリルを担当し、ご自身も看護師である小泉智恵子(こいずみ・ちえこ)教務主任にも話を聞いた。看護学校では、新カリキュラムにおける医療安全教育の一環として、4年前からドリルを組み入れている。

小泉主任によると、近年の看護教育では、より実践力を高めることを目的に、演習形式の授業を多く取り入れるよう、国から指導があるのだという。その流れのなかで本ドリルは「最適な教育プログラムです」という。「看護学は『実践の科学』と言われるように、実践力、現場力がとても大事です。一度このドリルを体験すると、その後に関連知識を学ぶ際も『これ、この間やったことだよね』、というように、学生の胸にストンと落ちやすい。教育の相乗効果が高いと思います」と語る。さらに「看護学生は医師役を経験することで、医師が必要不可欠であることを学びます。逆に医学部では、医学生が看護師役をすることで、看護師の重要性を理解します。感染対策だけではなく、職種間連携の大切さを学ぶためにも、とても良い効果がある」という。「いずれは、医学生と看護学生が一緒に出来れば」と小泉主任は話す。

吉田常恭医師ここまで教育者側の話を伺ってきたが、実際に授業を受けた体験者は、その効果をどのように捉えているのだろうか? 医学生時代にパンデミックドリルを経験した、現在武蔵野赤十字病院の研修医である吉田常恭(よしだ・つねやす)医師に話を聞いた。「夜間の救急外来では、溢れるほどの患者さんに対応しますが、大事なことは複数の視点から患者さんの重症度を判断することです。それによって、検査や治療の優先度を決めることが出来ます。ドリルではパンデミックの混乱した状態で、いかに状況を多角的にみて最適な判断をするか、という判断能力の重要性について学ぶことが出来ました」と語る。その経験は、たとえば救急外来に一つしかない超音波検査機器を「どの患者に最初に使うべきか」など、患者の重症度や優先度を即座に判断して決定を下していく臨床現場で役に立つという。

また、感染症のように目に見えないものに対して恐怖感を抱くことは、学生には現実感がなく難しいという。しかし、ドリルで実際自分が感染者になることで「感染する怖さを体験したからこそ、マスクの正しい着用など、感染防御技術がいかに大切か、ということを、感覚として理解出来た」と語る。

栗原健また、一昨年本ドリルを経験した本学医学部5年生の栗原健(くりはら・けん)さんは「それぞれの職種の機能が明確になり、なぜこの職種はこのような行動をとらなくてはいけないのかということが理解出来た」と語る。

同時に、「患者を助けたい」と強く思う気持ちも体験出来たそうだ。途中のチームミーティングでは「『ICUは満床です』と言われた時に、そのまま引き下がってよいのか?なぜこの患者にはICUが必要なのか?ということをICU管理者に最大限努力して伝えるべきでは、ということをチーム内で話し合いました」と言う。亡くなる人を減らしたい、という気持ちから「2回目には明らかにチームワークが改善しました」。

さらに「ICUが足りないのなら、増やすことは出来ないのか、などドリル内の役割分担にとどまらず、医療体制や病院のあり方まで議論出来た」(栗原さん)という。

栗原さんは今後のドリルの使われ方に対しても次のような意見を語ってくれた。「非常時には人的資源が不足するため、ドリルに医学生を有効利用する仕組みを取り入れてほしい。震災時も議論になりましたが、たとえば医師に情報を伝達する役割だけでも良いので、多少は医学の知識のある医学生を取り入れた枠組みを考えて欲しい」。

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終わりに

「パンデミックドリル」は、より臨床に近いが故に、非常に高い教育効果が期待出来る手法であると言えよう。またそれを裏付けるように、平成22年度に本ドリルは「東京都医師会グループ研究賞」を受賞している*4。

一方、ドリル実施のためには、事前準備やスタッフ教育、各種調整などにコストがかかり、厚労省の研究費がなければ当初の開発は難しかったとのこと。しかし学生はドリルを通して「医療現場で必要不可欠なスキルを文字通り『体で覚える』ことが出来るため、実施する価値は十分ある」と秋山医師は話す。

パンデミックはいつ起きるか分からない。H7N9型が中国で拡大する中、政府も前倒しで「新型インフルエンザ特別措置法」を成立させた。そのため「最悪を想定し、準備する」(秋山医師)ことこそが、医療関係者には危機管理上もっとも大事である。

最後に、秋山医師はこう語った。「受け身になりがちな講義と違い、体験型授業では学生はとても熱心に取り組みます。パンデミックでは患者さんのみならず、医療従事者自身にも危険が及びます。机上の講義では得られない貴重な体験を、本ドリルで経験してもらえれば開発者として嬉しく思います。そして今後は、体験型学習という本ドリルのコンセプトを応用し、多職種の連携が必須となる地域医療などの慢性期医療にも対応した教育ツールを研究、開発していきたいと思います」。

*1:「鳥インフルエンザと新型インフル エンザ」 厚生労働省ホームページ
    http://www.mhlw.go.jp/seisaku/01.html

*2 Akiyama K, et al. An introduction of simulation-based education drill for medical students in Japan – Effective "learn-by-doing" method for team-based medicine.
  Medical education 42(4), 217-224, 2011-08-25

*3 「医療現場における多職種連携教育サイト」自由記載アンケート 
   http://ipe-nms.com/急性期ドリル/アンケート結果/

*4 平成22年度東京都医師会グループ 研究賞「感染症危機管理シミュレーション訓練の取り組み」
  (研究代表者 秋山健一)

秋山健一 日本医科大学医療管理学教室日本医科大学 医療管理学教室

秋山 健一 あきやま ・けんいち

1997年東北大学医学部卒業。2003年同大学院卒業、博士号取得。東北大学病院勤務を経て、カリフォルニア大学バークレー校経営大学院、公衆衛生大学院入学(2007年休学)。2007年〜2012年日本医科大学医療管理学教室助教。2011年から日本医科大学理事長補佐。

こちらの記事は「意気健康 05夏号」の研究室レポートに掲載されたものです。